Vivo ac Libere

国際遠距離恋愛のために海外移住を目指すブログ

忌まわしきフェミニズムの呪いと禊ぎ

 日本においてはあまり意識することはないが、フェm…いや口に出すのも恐ろしい「アレ」はなかなか厄介な存在である。もちろん日本人男性に少なからず亭主関白的な志向があることは認めるが、男女同権思想も上手く運用しなければ混乱を招くばかりである。

ここで、僕の言う「亭主関白」「平等」の定義を明らかにしておきたい。この説明のために、車の運転をイメージしてほしい。一つの車に、一組のカップルが乗っている、という状況だ。

「亭主関白」とは、常にハンドルを握るのは男、行先を決めるのも男、女は普段は後部座席にいろ、たまに助手席に来てお茶とか出してくれ、みたいな感じだと捉えている。

「平等」とは、ハンドルを握るのは交代制。別に男がお茶を入れたって恥ずかしくはない。行先は地図を見て一緒に決めよう。車が壊れたら直すからJAF呼んだりとかしといて。直らなかったら一緒に次の手段を考えよう、みたいな感じ。僕の理想はこれだ。

この「平等」を混乱させるのが「アレ」である。

いわく、平等のためにハンドルは中央につけるべきだ、と。右に曲がるときは男が、左に曲がるときは女がやる。事故りそうになってハンドルを奪えば平等に反すると言われ、それに疲れて後部座席で寝てると勝手に行先を決められる(ハンドルを離した側の責任になる)。笑うことなかれ、これは男女同権を目指す社会の人間が、一度はかかる「はしか」のようなものである。彼女は大学の講義でこれを仕入れてきて、そして、僕たちカップルはこのおかげで別れる寸前まで行ったのだ。

もちろん僕も最大限の努力はした。理論というものは問題を解決したり先を見通すための道具であり、道具のために現状を混乱させてどうする、と。あるいは例の思想について調べ、それならその名の通りもっとフェミニンなやり方があるだろう、自説を強化するためにマッチョな手段に訴えては自己矛盾だ、とも訴えた。これは一定の効果があったが、しかし所詮は理屈なので納得感を生めない。ついに事態は彼女の友達みんなに論理の正当性を尋ねてまわる、という愚行にまで発展した。

最終的に、事態を解決したのは宣教師をやっている共通の友達である。彼が彼女に与えたアドバイスはこうだ。

 

「男女関係というものは、『私』を主体にすると途端に難しくなる。愛は求めるではなくただそこにある」

 

さすが他人を納得させるプロである。詭弁はこう制するのか、と目から鱗が落ちた思いだった。以来、僕と彼女の間で、Fで始まるあの思想は禁句である。

 

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F違いですね。すみません。アニメはもっとサクサク進めてほしかったかな。